大学の話をしましょうか 森博嗣
最高学府のデバイスとポテンシャル。
私は何のために大学に行ったかというと、社会に出るための準備期間、モラトリアムの時代であった。
良い大学を出ても、良い経済生活を送ることができることには関係ないし、良い人間関係を築くことにも影響は限定的である。
少なくとも、国立大学は誰でも入学できて、でも、卒業するには司法試験並みのハードルを課すーー筆記試験ではなく、論文であったり、学会発表であったり、その実力を発揮できる社会に開かれた場を設けるーーことにより、不毛な受験勉強に終止符を打つのである。
知識としての勉強だけではなく、大学生活全般の中で培われた人間力を発揮する場を、いろいろな形で設け、それに例えば会社の人事部門の人が自由に参加できーー社会人が授業に生徒として参加し、あるいは、部分的に大学生になれるシステムをつくるなどーーそのなかで、優秀と思われる学生をヘッドハントしていく。
学生はその大学を中退し、いろいろなタイミングで会社員になったり、起業したりなどする。卒業=学士、修士、博士などの有無は問題視しない社会がいいな。
勉強したい人はいつでも、どこでも、勉強できるものね。